美しきムダ
今日は、ごとーさんを連れてもんにゅこーえんへ。
時々、無性に来たくなるんだな、ここは。
すっごいムダだらけなのよ。
本格的に税金の無駄遣いって言われるぐらいに。
でも、ここのムダは即ちココロの余裕なのよ。
小さいけどとてもきれいな清流と、適度に整えられた里山と
鉄筋とコンクリ。
放置された木馬みたいな塊、言いっぱなしの警告看板。
文面だと悪趣味だけど、つかず離れずの微妙な距離感が
イマドキのニンゲンにはない感覚なんだよねぇ。
ここにくると、放置を実感しつつ責任を痛感する。
この東の果て近くの町に、こんな脳みそ柔らかな場所があんのかーって
土下座したいぐらいに参らされてる。
具体的な地名は出さないけど、ここの界隈ってすごく好きなのね。
景色も文化も人も。
色々と縁あって、ちょこちょこと垣間見るこの町々はとても麻薬的な
味わいがあって、クセになってた。
だけどね、近年、合併して市になった。
ベッドタウンで最も都市化してるって自負してる町の町長が市長になったもんだから
『ムダ』や『ココロの余裕』がなくなったのね。
つまんないね。
小の虫を殺して大の虫を生かすなんてことは、どこのヘボ政治家でもできること。
町長から市長になったからって、そんな王道を踏襲しなくてもいいんだよ。
結局は、『おらが(出身の)町最優先』ってな発想にしか見えない。
『若いうちの無駄は決して人生の無駄にはならない』
市も同じでしょ。
まだ生まれたばっかりの市、町だった頃の独自性や発想を押し込めないでね。
町だったから緩い感じが許されたけど、市じゃそうはいかないってことはないと思うよ。
業務においては無駄を省かなきゃいけないけど、日々の生活から無駄を省いちゃうと生きてる楽しさないと思うんだけどね。
合理的であることは、洗練された美しさを生むと同時に無機質な冷たさも生んじゃうから。
この国は標準化を違う意味で推進してる気がする。
イルカ飼育今年度で中止の記事を読んでそう思った。
金の無駄遣いじゃなくて、ココロを無駄遣いしたいもんだ。